東京・神田の雑居ビルの地下一階。
磨き上げられたグラスやリキュールのビンが光る開店前のイベントバー「エデン神田」の店内で、塩川壮挙店長がアルコール除菌スプレーで丁寧にテーブルを磨く。
「店を開けるなら、可能な限りの予防対策をしなくては」
新型コロナウイルスの感染拡大は飲食業界に甚大な影響を及ぼしている。売上は落ち込み、終わりの見えない外食の〝自粛ムード〟が続いている。
「バーという業態でやっている以上、こうしたリスクもある。乗りきれなかったら自己責任」
前触れなく訪れた不況に毅然と立ち向かう一方で、「店に来てくれる人たちのためになっているか、この場所を守るにはどうしたらいいか、日々自問している」と厳しい表情を浮かべる。
新型コロナウイルスの猛威は、飲食業界に未曾有の危機を引き起こしている。前触れなく訪れた大不況と戦う飲食店の苦悩を塩川店長に聞いた。
人気のイベントバーに忍び寄る感染症の影響
エデン神田は昨年6月にオープンした「イベントバー」。毎日日替わりで「1日バーテンダー」がカウンターに立ち、好きなテーマでイベントを企画するのが特徴だ。
お菓子作りやアニメファンといったテーマの日には同じ趣味の客が集まり交流する。現役医師や書籍編集者のようななかなか出会うことのない職業のバーテンダーがカウンターに立つ日もあれば、人気YouTuberのオフ会イベントにファンが大挙することも。
1日バーテンダーが友人を誘ったりSNSなどで呼びかけることで毎日のように新規の客が訪れ、大盛況の店内を見た客が「自分もやってみたい」と新たな1日バーテンダーに志願してイベント予定は常に1カ月半先まで埋まっていた。
しかし、新型コロナウイルスの流行を皮切りに状況は一転。
売上はじわじわと減少し、以前はほとんどなかったイベントのキャンセルもぽつりぽつりと発生し始めた。
塩川店長は「2、3月の売上は通常の2~3割減だった」とした上で「当初はまだ、受ける影響の大きさを測り切れていなかった」と振り返る。
自粛ムード高まるも、「自己責任」
世論が大きく変わったのは3月末だった。
3月25日、東京都の小池百合子知事は都民に週末の外出自粛要請を訴えた。3月30日にはお笑いタレントの志村けんさんの訃報が報じられ、同日夜には小池知事が緊急の記者会見を開き、歓楽街での感染が疑われる事例があるとした上で「若者にはカラオケやライブハウス、中高年にはバーやナイトクラブへの出入りを控えてほしい」と呼びかけた。
〝自粛ムード〟は一気に広がり、「バー」が名指しされたことが決定打となってエデン神田でも数日で10件以上のキャンセルが出たという。
塩川店長は「イベント開催の可否についての問い合わせも増え、友人たちの声やTwitterのタイムラインの風潮も一気に変わった」と話す。
系列店や各地の飲食店が休業を発表し、ネット上では人の集まるイベントの主催者が批判を受ける様子もあった。
小池知事の呼びかけでは利用者に対して自粛の呼びかけがあったものの、飲食店側に向けての発言はなかった。しかし、世間の風潮、遠のく客足を受けて休業を決める飲食店も少なくはない。
営業をストップしても、家賃などの固定費はかかり続ける。飲食店に補償を求める声もあったが、「店をやっている以上、リスクは付き物。苦しくなったとしても、乗り越えられなかったら自己責任だと考えている」。
一方、あちこちで飲食店の休業や営業時間短縮などが始まり、「このまま営業を続けていいのか」と自己対話を繰り返した。
悩んだ末、脳裏に浮かんだのはイベントで賑わう店の様子だった。
「うちの店を楽しみにしてくれている常連さんの顔が浮かんで消えない。楽しみにしてくれている人たちのためにも、簡単に閉めるわけにはいかない」
塩川店長は「今は我慢の時。できる限りの対策を講じながら、可能な範囲でエデン神田の営業は続ける」と決断した。
利用者の満足度か、リスク回避か、揺れる思い
店を潰さないためには売上がいる。しかし営業には責任が伴う。店は開け続けるものの、営業スタイルは変えざるを得なかった。
苦渋の選択として店内の滅菌は当然のこと、「作業会バー」や「無人バー」など、できる限り接触の少ないイベントを増やす方針だ。塩川店長は「それが正しいかどうかもまだ分からない。苦しいながらもやっていっているというのが本音」とこぼす。
すでに決まっているイベントのキャンセルの申し出は引き止めなかった。新規のイベント募集も控え、直近で予定されているイベントを企画する1日バーテンダーにも連絡し、実施するか中止するか一人一人と話し合った。
普段なら、1日バーテンダーには友人への来店の呼びかけをお願いし、少しでも多くの人に興味を持ってもらうためにSNSでのイベント告知も二人三脚で試行錯誤してきた。当日の特別メニューやイベント内容も考え万全の状態でイベントを開催してきた。
「事前の努力次第で来客数も、盛り上がり方も大きく変わる。1日バーテンダーにとっても、お客さんにとっても最高の形とするために1日たりとも手を抜いてこなかった」
しかし、自粛ムードの最中、「こんな時期にイベントなんて」そんな批判が1日バーテンダーや客に向けられてはいけない。1日バーテンダーに大々的な告知を頼むことも控えた。
エデン神田ではその日の売り上げの一部を1日バーテンダーへの報酬として支払っているため、集客数が減れば1日バーテンダーの収入も減少する。イベントが中止になれば、楽しみにしてくれていた常連客から「残念だ」という声も届いた。
「申し訳ない」という気持ちもある。
「店の利益は、1日バーテンダー、イベントに来てくれる客、全員の利益や満足度を最大化した上で成り立つ」と考えてやってきた。
1日バーテンダーに無理をさせていないか、あるいは本来得られたはずの収入を減らさせてしまっていないか?
来てくれた客を100%満足させられているだろうか?
納得のいくイベントになっただろうか?
スマートフォンを開き、ニュースやTwitterのタイムラインに並ぶ「コロナ」の文字を見るたびに歯がゆい気持ちでいっぱいになった。
それでも、「お店が原因でコロナウイルスの感染者を出すこと、1日バーテンダーにその責務を負わせることは絶対にあってはならない」と考えた。
1日バーテンダーや、客が不利益を被ることは絶対に避ける。営業していく上で、絶対に譲らないと誓った。
店長としての使命
開店前には約1時間かけてカウンターやメニュー表、ドアノブなど、客が触れる可能性がある部分はすべてアルコールで除菌を徹底している。マスクの着用を呼びかけ、来店した客が手洗いやうがいができるようにした。客には席を空けて座ってもらうなど、できる限りの対策はとっている。
オープン以来、多くの人たちが足を運んでくれた。コロナの影響が大きくなるにつれて「何かしら支援の方法はないのか?」「行けないがお金を先に支払える方法はないのか?」「できることがあれば何でもする」という声も多数もらった。いつもより多めに注文して支えてくれようとする常連客もいる。「この店を心から愛してくれる人たちが大勢いる」と再確認した。
〝お酒〟ではなく〝居場所〟を提供してきた。人生に疲れたり、迷ったりしたときにTwitterなどでエデン神田を見つけた、という客も多かった。イベントバーという特性上、店では多くの交流が生まれる。エデン神田に足を運ぶうちに、仕事が見つかった、気の合う友人ができた、生活が充実したという人を数多く見てきた。「この場所を残すのは、店長である自分の使命」という思いも強い。
存続させるため、やっていくしかない
午後5時前、衛生対策を終えた塩川店長はいつものように店を開ける。1日バーテンダーが到着し、その友人が顔を出す。すぐに店内は笑い声であふれた。この日常を守りたい、そう思う瞬間だ。
4月の売上は普段の9割減を覚悟している。この状況が半年、1年と続いたら…と考えがよぎるときもある。
先の予測はつかないが、塩川店長は「常連、これからの常連、そして1日バーテンダーのため、エデン神田を存続させる。今は苦しいけど、やっていくしかない」と意気込む。
イベントバーエデン神田
〒101-0046
東京都千代田区神田多町2丁目11-27 第19岡崎ビルB1
営業時間17:00-23:00
公式Twitter:https://twitter.com/eden_kanda